ななつめの雲

Twitterには書ききれない散文を置いとくために使います

アルケミスト 夢を旅した少年 

本日付で、大学を (正確には大学院修士課程を) 卒業します。

だからというわけじゃないけれど、在学時に学内の書評誌に寄稿した原稿をいくつか、メモ代わりにアップしておくことにします。

誰かに依頼されて、「仕事として」書く文章 (なんと少額ながら原稿料が出るのです) はなかなかに責任が重いというか筆が進まないというかで思っていたより骨が折れましたが、なかなか出来ない貴重な体験だったなあと思います。

 

一発目は特集テーマ「旅」に合わせて選んだ本。有名な「アルケミスト」について書かせていただきました。

 

 

アルケミスト 夢を旅した少年

パウロ・コエーリョ

山川紘矢、山川亜希子訳

角川文庫 一九九七年 五二〇円

 あなたは、何を求めて旅をするだろうか。綺麗な景色、美味しい食事、旅先での人との出会い。旅の魅力はいくつもある。

 しかしいずれにせよ、人は「自分が持っていない何か」のために居慣れた場所を旅立つのではないかと思う。

 本書の主人公、サンチャゴはスペインの平原を旅して生きる羊飼いの少年である。彼は旅への憧れから神父になる道を捨てて羊飼いという仕事を選んだが、羊飼いの生活もまた刺激に満ちたものとは言えなかった。羊毛を刈り、売って回る毎日。一冊の本を読んでは「次はもっと厚い本と交換しよう」とそれを枕にして眠る彼は、ある日自分がピラミッドで宝物を探し出す夢を見る。

 その夢をきっかけに、サンチャゴの日々は変わり始める。ある不思議な老人が彼の夢を言い当て、「それはお前の運命である」と彼をエジプトへの長い旅へと送り出したのだ。サンチャゴは旅の途中で数々の困難に見舞われるが、やがてアフリカに渡り、砂漠を越え、ピラミッドにたどり着く。

 本書のなかで、言葉を変えて何度も書かれているメッセージは「多くの人は叶えたい夢があっても、それを自分から諦めてしまう。しかし実際はそれを強く望み、真っ直ぐ進んでいけばあらゆるものが夢の達成を手助けしてくれる」ということである。本書でいうアルケミスト、すなわち錬金術師とは、単に鉛を金に変える力を持つ者ではなく、そういった〈世界の仕組み〉に気づいている者のことなのだ。

 確かに、これはフィクションの中の話である。現実には金銭や時間や素質や世間体、私たちの夢を阻むものはいくらでもある。しかし、行動を起こさなければ望む物が手に入らないというのはいつの時代や社会でも共通した、揺らぐことのない真実だ。その点で言えば、旅をすることも夢を追うことも本質的には同じで、憧れたもののために前に進むことなのではないだろうか。

 本書の著者、パウロ・コエーリョ法律学校に進んだものの、二十三歳のときに中退し、世界を放浪する旅に出ている。三年後に戻ってきた彼は作詞家として成功し、その十五年後に書き上げた本書は世界中でベストセラーとなった。本書に込められたメッセージは、彼自身が体現したのである。

 私たちが生きる世界は、物語のように上手くはいかない。成功する保証も、失敗した後の救済も、定められた道筋も、錬金術もないかもしれない。

 それでも、胸に抱えたものがある人には、本書を読むことをお薦めしたい。きっと、あなたが旅に出る背中を押してくれるだろう。 

 

 

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アルケミスト 夢を旅した少年 (角川文庫) パウロ・コエーリョ https://www.amazon.co.jp/dp/404275001X/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_muSGEb2SJSHCX


    

Shikisai (by AmaLee) 歌詞和訳

最近、英語のリスニングを鍛えたいなあ……と思っていまして、アニソンの英語ver.を作業用BGMとして聴くことにハマっています。

 

実際リスニングの練習になるかはおいておいて、Apple musicでアニソンを検索すると本家よりも英語カバー曲がひっかかることが多くあります。

 

その中でも、AmaLeeさんというアーティストがものすごい数の日本のアニソンをカバーしており、歌も上手いし発音も綺麗、ということでずっとこの人を聴いている毎日です。

 

元々(英語がわかりやすい) 洋楽の歌詞を和訳するのが個人的な趣味の一つだったので、リスニングの練習で歌詞を見てるとウズウズしてきまして、ちょっと今日はそれを吐き出したいと思います。

 

曲はFate/Grand Orderのテーマ曲「色彩」。リンクはこちらです↓


Fate/Grand Order - "Shikisai" (FULL Opening) | ENGLISH Ver | (AmaLee)

 

FGOは自分もプレイしているので坂本真綾さんが歌う原曲はよく耳にしているのですが、日本語歌詞はあまり意識してなかったし、ほとんど知らない状態でとりあえず訳してみました。

 

こういった歌詞の和訳は難しい部分も多いのですが、僕は「基本直訳だけれど、歌詞として成立するように、リズムや文意を重視して意訳をする」という方針をとってます。それでもだいぶ僕自身の解釈が入ってきている部分もありますので、ぜひ英語歌詞、僕の和訳、そして原曲日本語歌詞 と比較してみてください。

 

 

- Shikisai ENGLISH Ver (AmaLee) -

 

Whenever I'm alone, a voice will resonate

一人になるといつも、声が響く

It says it knows the way to take away the pain

楽になる方法を教えてあげる、とその声はささやく

 

But I can see the truth;

A black hole in disguise

でも甘い微笑みと張り巡らされた嘘の奥に

Hiding behind a charming smile

And sweet, caculating lies

ひた隠しにされた黒い穴が見えるんだ

 

I try to imitate the way you always speak

あなたの優しい話し方をなぞろうとした

As if I could convince myself that nothing's wrong

何も間違ってないと自分に言い聞かせるように

But in the end I wouldn't care that it's a lie

If it can keep me strong

でも結局、私を支えてくれる限りはそれが嘘であっても構わない

Then let the lie carry on

だから嘘は続いていく

 

If the reality of life is we must one day meet the end

いつの日か終わりと向き合わなければならないのが現実だとしたら

Why do we waste the time we have lamenting what no one can change?

誰も変えられないことを嘆く暇がどこにあるだろう?

That moment when, you understand

Your final day's at hand

終わりの日が近いと悟る、その瞬間にようやく

You suddenly see the world's beauty

As if it were taken from a dream

夢から解き放たれたように世界は色にあふれ出す

 

I only see a single destiny awaiting up ahead

たったひとつの運命だけが待ち受けていた

I never dreamed that I would watch it fall for all eternity

それが永遠に来ないことなど決して夢見ない

Each passing day - Each single dream

過ぎゆく日々、抱いた夢の一つ一つが

They mean the world to me

私にとっては世界そのものだから

And through every moment

そうした時を重ねていく中で

I'm grateful I live in the same world as you

あなたと同じ空の下にいることに感謝しているんだ

 

So that I don't forget

忘れないように

Even when I'm asleep

眠っている時でさえ

The dream before my eyes is playing on repeat

まぶたの裏で繰り返し夢が流れて行く

 

It's so ironic

それは皮肉でしかなくて

Oh the beauty is a sin

ああ、鮮やかな世界は許されないんだ

Somebody wake me up

誰かが私の肩を叩く

Before the dream pulse me in

夢に引き込まれてしまう前に

 

Until the day we say goodbye

さよならを言うその日まで

I'll stay forever by your side

あなたのそばを離れない

And if that day may be tomorrow

それが明日のことだったとしても

There'd be no regret in me

一片の悔いも私にはないよ

 

I'll pave the way

私は道を開いてみせる

For you who gave the colors in my heart

心に色彩をくれたあなたのために

I want to forever remember this beautiful

world you've shown to me

あなたが見せてくれた美しい世界をずっと覚えていたい

 

Red - Indigo - Water

赤、藍、水

Rainbow - Blue Sky - Every Color

虹、空、色

 

I'm not a goddess, and nor will I ever be

私は女神なんかじゃないし、そうなるつもりもない

All of my prayers, they will stay silent inside of me

すべての祈りは私のなかで静かに降り積もる

And I won't worry what they all might say

何を言われようと気にしない

Cause I know what's important

大事なことはわかってるから

And I'm fighting for it each single day

そのために一日一日を戦い抜く

 

All of my life I've only had one single wish and nothing more

人生を通して、たった一つだけ願っていた、それだけだった

When will the future I've dreamed to meet appear in front of me?

私が夢見た未来はいったいいつ現れるのだろう?

It's you who brought this loneliness to light and gave it life

この孤独に光を当ててくれたのは、あなたなんだよ

You've shown me a reason to always remember that I am not alone

私が一人じゃないと思い出す理由をくれたんだ

 

I only see a single destiny awaiting up ahead

たったひとつの運命だけが待ち受けていた

I never dreamed that I would watch it fall for all eternity

それが永遠に来ないことなど決して夢見ない

Each passing day - Each single dream

過ぎゆく日々、抱いた夢の一つ一つが

They mean the world to me

私にとっては世界そのものだから

And through every moment

そうした時を重ねていく中で

I'm grateful I live in the same world as you

あなたと同じ空の下にいることに感謝しているんだ

 

坂本真綾さん歌唱の原曲「色彩」の歌詞は以下から見られます↓

https://www.uta-net.com/song/179129/

 

 

訳してみて、「こんな歌だったんだな」と思ったのが正直な感想でして、少しだけ解釈を述べておこうと思います。

 

訳を読んでわかるとおり、この曲は誓いの曲で、「私」が「あなた」に助けてもらったこと、感謝していること、そしてその思い出を胸に生きていくことが繰り返し歌われています。

二人の間に何があったのか、「私」はどういう人物なのか、それはもちろん具体的ではありませんが、重要なキーワードとなるのが

"Color"、そして "Beauty" だと自分は思いました。

 

Colorは直訳すれば「色」ですが、ここではタイトルでもある「色彩」と訳すのが正しいでしょう。

「私」は「あなた」のおかげで色彩を感じられるようになった。いったい何の色彩か。

 

「世界」の色彩 (自分の知らなかった外の世界についての知識)

もしくは、

「心」の色彩 (豊かな感情) の二つが歌詞からは読み取れます。

 

これらの色彩を「私」は認識したことで、「世界の美しさ」(=beauty) に気づくことになるのです。

FGOと絡めるなら、マスターのおかげで世界の広さや自分の生きる意味を見出したマシュが思い浮かびますが、ここではあまり深掘りはしないことにします。

 

ここまであまり特別な解釈は述べていませんが、ColorとBeautyの関係が確立できると、難所であった" Oh the beauty is a sin"の意味がなんとなく見えてくると思います。

 

sinとは、宗教上の罪 (聖書などでは「原罪」と訳される) を意味します。

直訳では、「美しさは罪だ」となり、突然のナルシスト感が意味不明になってしまいますが、beautyを「世界の美しさ」ひいてはcolorとの関係を含めて「色鮮やかな世界」と捉えれば、「私」の置かれた環境ではそういったものは否定されている、ということが伝わります。

 

他に難しかった部分は、サビの"I never dreamed that I would watch it fall for all eternity"ですね。

itは前の文からdestiny (運命) を表していると思われますが、fall forがわからない。

調べると「だまされる」という意味があったので、

「運命がすべての永遠にだまされる」→「来るはずの運命が永遠の後に追いやられる」→「その運命は永遠にやってこない」

というような解釈のもとに訳してみましたが、いささか無理があると自分でも思います。

 

 

内容的な点に話を戻すと、1番サビ以降は割とわかりやすいのに対してその手前までは少し難解です。

原曲の日本語歌詞と照らし合わせて考えてみると、

最初の「声」は「あなた」ではなく第三者の誘惑で、甘い言葉の裏側には黒い穴のような悪意が透けて見える。

それを打ち払うために「私」は「あなた」の口癖 (?) を思い出す。それは優しい嘘だったとしても誘惑から身を守れるならばそれでいい。

 

そういうことかなあと思います。

 

 

英語歌詞の和訳は英語力よりも日本語力、読解力が鍛えられますね。AmaLeeさんの曲はたくさんあるのでまたそのうちに挑戦してみます。

天気の子 ネタバレ感想

はじめに。


この記事は重大なネタバレを含みます。というかネタバレしかありません。

自分の中のアレコレを消化するために書いているので。


「天気の子」未鑑賞で、鑑賞予定の方は速やかに引き返してください。




それでは感想…を書き出すとめちゃくちゃになってしまいそうなので、評価という形で始めたい。映画評論なんてたいそうなことはできないけれど、これまでの新海誠作品は一通り観ているので、語れることはあるはずだ。


◎ 映像について

君の名は。」で一躍有名になった、新海作品の美麗な風景描写。「ずるい」と言いたくなるほど心に訴えかけるおなじみの超ハイクオリティ作画は、今回も健在だ。

というか、絶対にこれを効果的に「魅せる」ように物語を作っている。

雲の隙間から差し込む光のベール、雨と踏切、青空にかざす手、水たまりに雨が打つ波紋。

これまでの新海作品でも効果的に働いてきた、エモーショナルなオブジェクト、そして風景がちりばめられていた。

予告映像でも出ていた空の世界(?)でも、空の青、雲の白に加えて、魚の虹色、草原の緑が華やかな色合いを演出している。後者2つは視覚的な効果を考えて配置されたに違いない。


映像で確実に視聴者の心を動かしに行く。

そんな方針がはっきり見えた作品だった。


一つ気になったのは、前々作「言の葉の庭」との違い。

あの作品は「雨」を一つのテーマにしている点で本作と共通する。

そのため雨の表現にも工夫が見られ、雨の美しさ、儚さを強調するような表現がされている (画像)

本作でも雨のシーンは非常に多かったが、ここまでのこだわりは見られなかった。

本作はあくまで「雨と晴れ」がテーマで、雨は晴れ空の美しさを引き立てる役でしかないからそうなのだと思っていた……が、ラストでその考えは一変。


世界が雨に沈むというのなら、もっと雨に主軸を置いた表現をしてもいいはず。ここで手を抜いたために、いまいち豪雨や水没した街の表現が普通になってしまった気がする。


逆に最も評価したいのは、花火のシーン。色とりどりの花火が打ち上がる、心を打つシーンだが、カメラが立体的に移動して臨場感がすさまじいものになっている。早くもう一回観直したい。


これも言の葉の庭のラストシーンで同様の工夫がされていたが、ラストで持ってくるレベルの表現をシリアスパート手前でやっちゃう天気の子…恐ろしい子


◎ 音楽について

RADWIMPS最高。以上。


◎ストーリー構成について

これが本命である。

本作は、正直に言って、傑作ではない。

悪くはなかったけど、手放しで賞賛できるほどではなかった。

なぜか。映画としての立ち位置が、非常に中途半端だったからだ。


上でも触れた通り、本作は前作「君の名は。」を非常に強く意識している。

瀧くんや三葉といったキャラクターを直接登場させるだけではない。


1. 中高生どうしの恋物語という主題

2. ギャグや下ネタ(というほどでもないが)を細かに挟む小技

3. 伝統を知る老人に世界の秘密 (前作では「むすび」や「入れ替わりの伝承」、今作では「天気の御子の伝説」)を語らせ、日常パートからシリアスパートへの転換を図るテクニック。

4. 口噛み酒の祠と廃ビルの鳥居というキースポット。

5. 敵は自然現象 (前回は彗星、今回は天気)

6. 状況を打開するために主人公がキースポットを訪れる。

7. アツいRADWIMPSづくし


ザッと挙げるだけでも、それまでの新海作品で見られなかったこれだけの共通点がある。


ここまでかぶると、正直面白くない。それぞれの手法が効果的に働いているのは事実で、美麗な映像とも合わせてそれなりに楽しめた。

でも、それなりだ。視聴者からすれば、「ああこれ前にもあったな」という印象はどうしても頭の中に出てきてしまう。

これをどう打開するのかと鑑賞していたが、期待した意味ではついぞ打開されなかった。


また、物語としての描写不足もいくつか見られた。

なぜ穂高は地元の島を出てきたのか。

なぜ陽菜と凪は東京での二人暮らしにこだわっているのか。

なぜ穂高は鳥居から空の世界にアクセスできたのか。

夏美の就職活動はどうなったのか、就活生が捕まる危険を冒して穂高の逃走を助けるだろうか? 須賀のように逡巡があるべきでは?


このあたりの説明がないのは欠陥として数える他ない。小説版で補完されるって? それをアテにしたらクリエイターとして終わりだろう。


さて、このままでは「天気の子」は劣化版「君の名は。」だ……と思って観ていたが、ラストで衝撃の展開がやってくる。


そう、穂高は世界と陽菜を天秤にかけて、陽菜を選んだのだ。

世界なんてどうなってもいい。もう晴れ女じゃなくていい。

そう言って陽菜を取り戻し、雨は止まず東京は水没した。


ラストをこの展開にしたのは強く評価したい。素晴らしい。

なぜ素晴らしいのか? 僕が好きだからだ。

これはいわゆる「メリー・バッドエンド」と呼ばれる終わり方のマイルドなものだ。


主要キャラクターにとっては幸せな結末だけれど、その他の人々からしたらそうではない。

今回なら瀧くんのおばあちゃんの家は水没してしまい、マンションに引っ越すことになってしまった。

よくあるメリバなら世界が崩壊して二人だけ生き残るとか、そこまでやるのだが本作では街の水没にとどまった。

とはいえ、住居や交通の問題は深刻だろう。瀧くんや三葉は大丈夫だろうか。


こんな風に何千万もの人々に影響を与えながらも、「世界の形を変えてしまったんだ」と言いながらも、最後に穂高は自分の選択を正当化する。陽菜と二人で生きていくために、ずっと守っていくために。仕方のないことだと割り切った。須賀の「世界は元から狂っているんだから気にするな」という言葉を鵜呑みにして。


主人公のエゴイズムやヒロインへの愛の深さが感じられる。これがメリー・バッドエンドの醍醐味だ。

これは今までの新海作品ではなかった、新しい試みだった。事実、観客にもっとも衝撃を与えたのはこのラストだろう。


しかし、それまでの溢れる「君の名は。」リスペクトから急転直下のこれでは、いくらなんでも落差が激しすぎる。

劣化版という評価は不適当だが、何がしたいのかわからない、というのが素直な感想だ。

あるいは、新海監督自身も悩んでいたのかもしれない。史上稀に見る大ヒットを記録した前作をいかにして超えるか。

良い部分は踏襲し、新しい表現にもチャレンジする。

そうした難問に果敢に取り組んだ結果が本作なのだとしたら、その努力にはただ脱帽する。


新海監督がどれくらい自信を持ってこの作品を世に送ったのか。真相はわからない。

一度きりしか観ていないので、まだ見落としている部分があるかもしれない。


初鑑賞で感じたことは幾分整理できたように思うので、また劇場に足を運びたいと思う。


あと色々言ったけど陽菜ちゃんマジで可愛い。僕もあんな子にハンバーガー恵まれたい人生だった。

God is a girl 歌詞の和訳と解釈的ななにか①

最近EDMというジャンルの音楽をよく聴く。
Electronic Dance Music、つまり電子楽器ゴリゴリのクラブとかで流れる音楽らしいのだが、クラブに行ったことがなくても音楽ゲームを嗜む人にとっては馴染みのあるテイストの曲が多い。
音ゲー曲というと一部のゲーマーにしかわからないが、EDMというと途端にパリピ感が出て普通の人にも受け入れられる(?)気がする。
もちろんEDMの全てが音楽ゲームに収録されているわけではもちろんなく、主に欧米では主要な音楽ジャンルとして成立しているため、むしろ日本の音ゲー曲の方がEDMの影響をバリバリに受けているというべきだろう。
EDM、音ゲー曲の中でもたくさんジャンルがあるためあんまり知った顔でそれらについて語るのは避けたいが、とりあえず僕は作業用BGMとしてyoutubeで聴けるEDMをよく流している。
 
その中で、一つお気に入りの曲がある。"God is a girl"という曲だ。
この曲はGroove Coverageというドイツのバンドが2002年に発表した曲で、もともとそこそこ反響があった曲らしいのだが、この曲をもっと世界的に有名たらしめているのが、有志によって制作された"Nightcore"バージョンだ。
 
Nightcoreというのがなんなのか、僕もあまり正確には知らないが、少し調べたところによると、既存の楽曲のテンポを上げてEDM風のアレンジを加えたバージョンのことを指すらしい。日本のアニソンやゲーム音楽もたくさんNightcore化されたものがあって、youtubeなどの動画サイトを通して世界中で視聴されている。著作権的に大丈夫なのかは置いておこう。
 
今回僕が初めて聴いて興味を持ったのも、God is a girlのNightcore ver.で、神秘的なイントロからEDMらしく盛り上がるサビまでなかなか聴きごたえのあるアレンジになっている。
 
言い訳的に原曲のMVも置いておく。けれど、Nightcore版を聴いてしまったあとだととてもスローに感じられてなんとなく物足りない気がするのは僕だけだろうか。
 
 
さて、ここまでyoutube漁ってたら好きな曲を見つけた、というだけの話なのだけれど、この曲の歌詞、よくよく聴いてみるととても想像力がかきたてられるものになっている。
いまの社会に対する風刺なのか、はたまたフィクションの世界の話なのか。曲調ともマッチして僕は後者の想像を抱いた。
 
簡単な英語だし繰り返しがとても多いのだが、こういう曲は日本ではまだまだ知名度が低いのもあってあまり適切な日本語訳がされていない。上にあげた動画にも一応字幕が出ているが後半はあまり意味がわからないだろう。
 
というわけで完全な趣味で、この歌詞を一つずつ訳して、その解釈を(妄想を交えながら)並べていこうと思う。
 
少し意訳があるが、なるべく自然な日本語になるよう意識してのことなのでご容赦いただきたい。
 
 
God is a girl -Groove Coverage
 
Remembering me, discover and see
All over the world, she's known as a girl
To those who are free, the mind shall be key
Forgotten as the past, 'cause history will last
 
「私を思い出して。見つけて、向き合って」
世界中で、彼女は少女として知られていた
自由である者にとって、その心は鍵となるだろう
少女は過去として忘れ去られた、なぜなら歴史は続くから
 
God is a girl, wherever you are
Do you believe it, can you receive it?
God is a girl, whatever you say
Do you believe it, can you receive it?
 
神様は少女だ、あなたがどこにいようと
信じられる?受け入れられる?
神様は少女だ、あなたが何を言おうと
信じられる?受け入れられる?
God is a girl, however you live
Do you believe it, can you receive it?
God is a girl, she's only a girl
Do you believe it, can you receive it?
 
神様は少女だ、あなたがどう生きようと
信じられる?受け入れられる?
神様は少女だ、ただの少女なんだ
信じられる?受け入れられる?
She wants to shine, forever in time
She is so driven, she's always mine
Clearly and free, she wants you to be
A part of the future, a girl like me
 
彼女は永遠に、輝きたかった
彼女はとても焦がれている、いつだって私のものだ
明らかに、そして自由に、彼女はあなたに望んでる
未来の一部になれと、私のような少女になれと
 
There is a sky, illuminating us
Someone is out there, that we truly trust
There is a rainbow, for you and me
A beautiful sunrise, eternally
 
私たちを照らす空がある
でもその外には誰かがいて、私たちは彼女を信頼してる
あなたと私のための虹がある
美しい日の出がある、永遠に
God is a girl, wherever you are
Do you believe it, can you receive it?
God is a girl, whatever you say
Do you believe it, can you receive it?
 
神様は少女だ、あなたがどこにいようと
信じられる?受け入れられる?
神様は少女だ、あなたが何を言おうと
信じられる?受け入れられる?
God is a girl, however you live
Do you believe it, can you receive it?
God is a girl, she's only a girl
Do you believe it, can you receive it?
 
神様は少女だ、あなたがどう生きようと
信じられる?受け入れられる?
神様は少女だ、ただの少女なんだ
信じられる?受け入れられる?
 
 
歌詞を少し見てもらえればわかる通り、タイトルにもある「神様は少女だ」という単純なメッセージが幾度も繰り返されている。
この曲の解釈をする上で、「少女とは何を表しているか」という考察が必要であるように思うが、ここではあえてそのまま受け取ろうと思う。
少女が何かの比喩であるとすれば、「神様が少女」というフレーズはなんらかの社会的なメッセージを持ちうるかもしれない。
 
しかしそれはあまりおもしろくない。ここはそのまま「神様は女の子だ」という設定の元に作られた物語であると解釈した方が、フィクションとしてはロマンがある。
 
そうして素直にこの歌詞を見つめてみると、一つ、不可思議なところがある。
 
この詩には、登場人物が3人出てくる。
「神様」と「私」と「あなた」だ。
正確にはyouは2人称複数を表すこともできるので、「あなたたち」かもしれないが、今はそこまで重要な問題ではない。
この歌詞を読むだけではさっぱりわからないのが、「私」は何者なのか、というところだ。神様が少女であることを知っていて、「あなた」にそれを伝えてくる。これだけなら地の文が三人称の小説などでよく言われる「神の視点」というやつなのだと受け入れることができる。神様がもういるのに神の視点というのもおかしな話だけれど。
しかし、物語における「神の視点」はキャラクター性を持ってはいけないという厳格な決まりがある。したがって「私」は明らかにこの詩で主要な位置を占める人物なのだ。
 
話が難しくなってきたので手元にある世界的に有名な三人称小説「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を例に説明する。
 
「捕まえたぞ!」ハリーの近くにいた死喰い人が叫んだ。「この場所はーー」
シレンシオ!黙れ!」
ハーマイオニーの呪文で男の声が消えた。フードの穴から口だけは動かし続けていたが、何の音も出てこなかった。
 
ここでいう「神の視点」とは、地の文を語っている存在のことだ。小説を読むことに慣れた読者はそんなことを気にも留めないが、この文章を書くためには、この存在はハリーと死喰い人とハーマイオニーの位置関係やその時起こった状況を正確に把握している必要がある。また、状況によっては
 
ハリーは「首なし帽子」を被せようとするジョージを交わして、談話室を横切り、男子寮に続くひんやりと安らかな石の階段に辿り着いた。また吐き気がした。蛇の姿を見た夜と同じような感じだった。しかし、ちょっと横になれば治るだろう、と思った。
 
というように、「神の視点」は登場人物の心の動きまでも正確に汲み取り、記述する。
要するに三人称小説とはこのような存在を筆者の代わりとして用意することで物語を円滑に進める手法をとっている小説のことなのだ。
 
しかし、この「神の視点」、この存在自身に関する記述がほんの少しでもなされた瞬間、その文章は強烈な違和感を伴うことになる。例えばこんな感じだ。
 
「捕まえたぞ!」私とハリーの近くにいた死喰い人が叫んだ。「この場所はーー」
シレンシオ!黙れ!」
ハーマイオニーの呪文で男の声が消えた。フードの穴から口だけは動かし続けていたように私には見えたが、何の音も出てこなかった。
 
こうなると、途端に「お前は誰だよ!!!」となるのである。私と言っているのだから、この存在は登場人物のだれかでなくてはならない。そして「神の視点」がキャラクターに成り下がった瞬間、「神の視点」はその権力を大幅に失う。
もしこの時ハリーとハーマイオニーの近くにいる人物(=私)を語り部に設定した場合、例えば次に離れた場所にいるロンの描写をする際に、語り部を変えるか、「私」を瞬間移動させる必要がある。
これはあまり現実的でない。
実は三人称小説と対立する概念である一人称小説はこのような問題を抱えており、「ハリー・ポッター」のような登場人物が多い物語を表現するには向いていない。
 
話が大きく逸れてしまったが、本題に戻る。
 
She is so driven, she's always mine
Clearly and free, she wants you to be
A part of the future, a girl like me
 
歌詞のこの部分で、明らかに「私」はその存在を主張している。
神様は少女なんだよとただ言っているだけではなく、「神様は私のもの」「私のような少女」と明確に述べている。
なので「私」も登場人物の一人ということになるのだが、なぜここにここまでこだわっているのかというと、「神様の秘密を知っている『私』とは何者なのか」という謎に、この物語(とするなら)の解釈が大きく依存するからだ。
「私」が「神の視点」ではないなら、君はなぜ神様の秘密を知っているのか? ということになる。当然、「私」は「神様」と特別な関係にあるからだ。
「私」は「神様」に繋がる特別な存在で、「あなた」にその秘密を伝えてくる。その上で、「信じられる? 受け入れられる?」と問いかけてくるのである。
 
基本の骨格はこれで間違いないはずだ。
次は「『私』は『神様』とどういう関係なのか」「なぜ秘密を伝えてくるのか」を考えてみたい。
 
 
 
 

ひとりぼっちはさみしいもんな

承認欲求の話をしよう。


この言葉をよく聞くようになったのはここ二、三年のことだろうか。

個人の所感としては主にSNS上で、たいていは悪い意味で用いられている印象がある言葉である。

あいつは承認欲求の塊だ、承認欲求丸出しの行動、など何か含みがある言い方がついて回るように思う。


他人と簡単に繋がれるSNSが隆盛を奮う現在だからこそ、こういった概念が注目を浴びているのかもしれないが、僕としては「この欲求は時代を問わず人間なら誰しも持っているものなのではないか」と考えている。


だって、この承認欲求というやつは、あまりに僕らの根源に関わる欲求だからだ。


親に褒められるために習い事を頑張る、好きな子の気を引くためにいたずらをする、後輩の前ではなぜだか格好つけてしまう、恋人のためにオシャレをする、ソシャゲでSSRを引いたらスクショを撮ってツイートする。


これらの行動はすべて承認欲求の賜物、すなわち「他者に自分の存在を認識されたい、そして他者に良く思われたい」という欲求で説明がつく。


こういった欲求は僕たちの生活の端々にまで顔を覗かせていて、現代人だけでなく数百年、数千年前の人間だって同じような欲求を持っていたことは想像に難くない。

だからこそ承認欲求は、人間が文明を持ってから、いやおそらく「他者」というものを認識するようになってから同時期に発生した、かなり深い根っこの部分にある欲求なのだろう。


さて、僕が知りたいのは現代社会と承認欲求の関係とか、文化の発展と共に見る承認欲求の変遷とかではない。

もっと本質的なこと、つまり承認欲求は何のために存在するのか、ということである。


僕は自分で言うのもなんだが、承認欲求が人より強いのではないかとこっそり思っている。

漠然となんかデカいことしてスゲーって言われたいと常日頃から考えているし、もはやデカいことしなくてもスゲーって言われたい。とにかく他人に承認されたいのだ。5000兆承認ほしいのだ。


しかし、現実はそう甘くない。

正当な手順で誰かに認められるためには、何らかの成果がなくてはならない。成果を生むためにはたいてい努力が必要で、しかも努力したからって成果が生まれるとは限らない。

日々を生きて努力して、でもなかなか上手くいかないことばかりで、もちろん承認なんてそう得られない。

それももちろん苦しいけれど、最も苦しいのは、強すぎる承認欲求のせいで、承認されない自分が嫌いになり、人生に嫌気が差してきて、挙げ句の果てに過去のトラウマまで蘇ってくることだ。


一通り悩んで冷静になって考えてみると、僕はこう思うのである。

承認欲求、これって何のためにある?



少し前に、「嫌われる勇気」という本がベストセラーになった。確か最近ドラマ化もされていたはずだ。

食わず嫌いをして僕はその本を読んでいないので詳しいことは語れないが、だいたいのテーマは知っている。

すなわち、承認欲求からの解放だ。

「嫌われる勇気」に書いてあることを実践できれば、承認欲求から逃れられるのかもしれない。そういう意味では、僕のような人間こそ真っ先に読むべきなのかもしれない。


しかし、まずは自分の頭で考えてみよう。承認欲求と折り合っていくためには承認欲求を自分なりに理解することがまずは必要だ(と思う)。この得体の知れないくせに僕らの行動や思考を縛り続ける欲求は、一体何を源に生じているのだろうか。



さて、前置きが長くなった。実はこの記事の内容は今朝大学へ向かう道すがらに考えたことである。断片的にはこれまでふとした時に思索にふけっていたが、今朝やっと自分なりに結論がまとまったので、こうしてその言語化を試みている。


承認欲求の正体を掴むために、僕はまず他の欲求との比較から始めることにした。


人間とは欲深い生き物で、Wikipediaを見るだけでも多数の欲求の種類がある。

しかしもっともわかりやすいのは、やはり「三大欲求」、すなわち食欲・性欲・睡眠欲だろう。

このうち、食欲と睡眠欲については、これらの欲求を満たさなければ死ぬ。つまり生きていくために取るべき行動を僕らに示してくれるシグナルとして解釈できる。

性欲については、これを満たさなくても死にはしない。しかし、性欲がなければ子孫を残せない。人間がいくら知能が高く必要性を理解しているからといって、性欲が全くない状態でそういう行為ができるだろうか?


ここで、ある仮説を立てることができる。

すなわち、「あらゆる欲求は個体あるいは種としての命を維持するために必要なものである」という仮説である。

仮説の根拠となるのが三大欲求だけというのはいささか不安だが、この際ここは目をつぶろう。

重要なのは、承認欲求にもこれを当てはめて考えてみるということである。


まず、他人から承認されないということは生理的に死に直結するだろうか?

僕の知る限りではそのようなことはない。もしかしたら他者から承認されることによって脳がホルモン様の物質を出しそれが生命維持に必須である、という可能性もあるのかもしれないが、ツッコミどころが多すぎるしこれは考えなくていいだろう。


では、性欲と同じようにして、間接的に生命を支えている?

これも色々考えてみたがすぐに行き詰まった。

承認という概念がとにかく曖昧すぎるのだ。結局のところそれは自分がどう判断したか、ということでしかない。

明らかなお世辞でもそれに気付けない人は承認欲求が満たされるだろうし、疑心暗鬼に陥っている人は本心からの賞賛でも心が弾むことはないだろう。

自分にその基準がある以上、他者からの承認によって何か物理的・科学的な変化が起こるとは考えにくい。それこそ何か脳内麻薬がドバドバ出るくらいだろうか。


もっと単純に考えよう。誰からも承認されないでただ生きながらえるとしたら、僕はどうなる?

具体的には、世界に生き残った人間が僕一人になった状況を考えてみる。

何をしても他の人間に存在を認めてもらえることもなく、賞賛されることもない。

それは絶対的な孤独で、そんな状況になったら、ウサギではないが寂しさで発狂して死んでしまうのではないだろうか。


そう、死ぬのである。

この思考実験は、承認欲求が満たされないと生きていけないことを示している。

これは前述の仮説に承認欲求も従うことを示唆している、かもしれない。

つまり、承認欲求を満たさないと死ぬ。これは三大欲求と同じだ(性欲についての議論は上でした)。しかし承認欲求が生きていくために必要か、ということまでは言えていない。


ではさらに掘り下げよう。

なぜ絶対的な孤独は我々にとって致命的なのか?

この答えにあたるものは、僕の完全な想像である。でも、きっと正しいと確信している。

人は孤独だと、自分という存在があやふやになるのだ。自分がほんとうに存在しているかは、自分にはわからない。何か自分の存在を立証してくれる外部の存在がいないと、僕たちは自分を保てないのではないだろうか。


先ほどの例に戻ろう。

もし世界で自分だけが生き残ったとしよう。人間だけが自分以外絶滅したなら、他の動物や植物は生きているかもしれない。仮に草の根も絶えた死の世界でも、きっと目に見えない微生物たちは生きているだろう。

もっと想定を厳しくして、自分以外の生命すべてが消え去ったとしても、岩とか水とか空気とか、もっと細かくいろんな原子とか分子とかは存在する。

つまり、「他者」はどうしたって存在するのである。

それでもそんな世界では承認欲求は満たせない。自己存在の確立を支えてくれることはない。

それは、人間以外のそれら「他者」は、自分の観測した世界の内側にいるものだからである。それらは僕たちと同じように世界を観測することはない。君はここに確かにいるぞと、僕たちに教えてくれることはない。

それらはあくまで観測者である僕らに従属する存在で、そういう意味で僕らがそれらを対象に意識を払うことはない。


それにひきかえ、他人はわからないことばかりだ。

コミュニケーションのおかげで多少なりとも僕たちは意思疎通がとれるけれども、本当の意味で目の前の人が何を感じ、考えているのかは絶対にわからない。観測しようにも完全には観測できず、自分と同じ観測者たる対等な存在なのだ。

そして、ここが大事なのだが、僕たちは自分以外の人間がそういう未知の塊であることを本能的に知っている。

もしかしたら、植物だって考えるかもしれない。微生物だって言葉を解すかもしれない。そういう意味で、彼らも僕らの孤独を解消する外部の存在になる可能性もある。

けれどそれは本質ではない。やはりここでも自分がどう感じるかが問題なのだ。

普遍的な価値観として、自分以外の人間こそが、最大にして唯一の他者なのだ。

だから僕たちは誰か他の人間に承認されないと生きていけないし、承認されることによって自分は確かに存在しているのだと確認することができる。


僕の結論はそんなところである。




ここまで書いておいてアレだが、上に述べたことはぶっちゃけその筋の人からすると適当にも程がある話だと思う。

こういったことを扱う学問はきっとあるはずで、僕のちっぽけな教養を振り絞るとそれは哲学や心理学の領域ではないかと思われるが、僕にその手の知識は一切ない。

だからここまで読んだ奇特な人がもしもいて僕が書いたことに何か感じるものがあったとしたら、いろいろと申し訳なさすぎるのできちんとした本で調べてみてほしい。まあ僕自身にそんな気はあまりないが。


承認欲求と折り合っていく方法は、まだ全く考えつかない。

ただ、多くの人が持っているであろう「承認欲求=悪」という価値観は個人的には和らいだ。

そりゃ承認されてえよ、ひとりぼっちはさみしいもんな。


ただ、承認欲求を表に出すことに対する不快感はやはりまだあって、それが何故なのかを考えることもまた面白いとは思うのだが、FGOで星5を引いたとしても爆死した人にスクショ画像を横から失礼しない、そんな程度には他の人を思いやって承認欲求を満たしていきたいと思う。