ななつめの雲

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God is a girl 歌詞の和訳と解釈的ななにか①

最近EDMというジャンルの音楽をよく聴く。
Electronic Dance Music、つまり電子楽器ゴリゴリのクラブとかで流れる音楽らしいのだが、クラブに行ったことがなくても音楽ゲームを嗜む人にとっては馴染みのあるテイストの曲が多い。
音ゲー曲というと一部のゲーマーにしかわからないが、EDMというと途端にパリピ感が出て普通の人にも受け入れられる(?)気がする。
もちろんEDMの全てが音楽ゲームに収録されているわけではもちろんなく、主に欧米では主要な音楽ジャンルとして成立しているため、むしろ日本の音ゲー曲の方がEDMの影響をバリバリに受けているというべきだろう。
EDM、音ゲー曲の中でもたくさんジャンルがあるためあんまり知った顔でそれらについて語るのは避けたいが、とりあえず僕は作業用BGMとしてyoutubeで聴けるEDMをよく流している。
 
その中で、一つお気に入りの曲がある。"God is a girl"という曲だ。
この曲はGroove Coverageというドイツのバンドが2002年に発表した曲で、もともとそこそこ反響があった曲らしいのだが、この曲をもっと世界的に有名たらしめているのが、有志によって制作された"Nightcore"バージョンだ。
 
Nightcoreというのがなんなのか、僕もあまり正確には知らないが、少し調べたところによると、既存の楽曲のテンポを上げてEDM風のアレンジを加えたバージョンのことを指すらしい。日本のアニソンやゲーム音楽もたくさんNightcore化されたものがあって、youtubeなどの動画サイトを通して世界中で視聴されている。著作権的に大丈夫なのかは置いておこう。
 
今回僕が初めて聴いて興味を持ったのも、God is a girlのNightcore ver.で、神秘的なイントロからEDMらしく盛り上がるサビまでなかなか聴きごたえのあるアレンジになっている。
 
言い訳的に原曲のMVも置いておく。けれど、Nightcore版を聴いてしまったあとだととてもスローに感じられてなんとなく物足りない気がするのは僕だけだろうか。
 
 
さて、ここまでyoutube漁ってたら好きな曲を見つけた、というだけの話なのだけれど、この曲の歌詞、よくよく聴いてみるととても想像力がかきたてられるものになっている。
いまの社会に対する風刺なのか、はたまたフィクションの世界の話なのか。曲調ともマッチして僕は後者の想像を抱いた。
 
簡単な英語だし繰り返しがとても多いのだが、こういう曲は日本ではまだまだ知名度が低いのもあってあまり適切な日本語訳がされていない。上にあげた動画にも一応字幕が出ているが後半はあまり意味がわからないだろう。
 
というわけで完全な趣味で、この歌詞を一つずつ訳して、その解釈を(妄想を交えながら)並べていこうと思う。
 
少し意訳があるが、なるべく自然な日本語になるよう意識してのことなのでご容赦いただきたい。
 
 
God is a girl -Groove Coverage
 
Remembering me, discover and see
All over the world, she's known as a girl
To those who are free, the mind shall be key
Forgotten as the past, 'cause history will last
 
「私を思い出して。見つけて、向き合って」
世界中で、彼女は少女として知られていた
自由である者にとって、その心は鍵となるだろう
少女は過去として忘れ去られた、なぜなら歴史は続くから
 
God is a girl, wherever you are
Do you believe it, can you receive it?
God is a girl, whatever you say
Do you believe it, can you receive it?
 
神様は少女だ、あなたがどこにいようと
信じられる?受け入れられる?
神様は少女だ、あなたが何を言おうと
信じられる?受け入れられる?
God is a girl, however you live
Do you believe it, can you receive it?
God is a girl, she's only a girl
Do you believe it, can you receive it?
 
神様は少女だ、あなたがどう生きようと
信じられる?受け入れられる?
神様は少女だ、ただの少女なんだ
信じられる?受け入れられる?
She wants to shine, forever in time
She is so driven, she's always mine
Clearly and free, she wants you to be
A part of the future, a girl like me
 
彼女は永遠に、輝きたかった
彼女はとても焦がれている、いつだって私のものだ
明らかに、そして自由に、彼女はあなたに望んでる
未来の一部になれと、私のような少女になれと
 
There is a sky, illuminating us
Someone is out there, that we truly trust
There is a rainbow, for you and me
A beautiful sunrise, eternally
 
私たちを照らす空がある
でもその外には誰かがいて、私たちは彼女を信頼してる
あなたと私のための虹がある
美しい日の出がある、永遠に
God is a girl, wherever you are
Do you believe it, can you receive it?
God is a girl, whatever you say
Do you believe it, can you receive it?
 
神様は少女だ、あなたがどこにいようと
信じられる?受け入れられる?
神様は少女だ、あなたが何を言おうと
信じられる?受け入れられる?
God is a girl, however you live
Do you believe it, can you receive it?
God is a girl, she's only a girl
Do you believe it, can you receive it?
 
神様は少女だ、あなたがどう生きようと
信じられる?受け入れられる?
神様は少女だ、ただの少女なんだ
信じられる?受け入れられる?
 
 
歌詞を少し見てもらえればわかる通り、タイトルにもある「神様は少女だ」という単純なメッセージが幾度も繰り返されている。
この曲の解釈をする上で、「少女とは何を表しているか」という考察が必要であるように思うが、ここではあえてそのまま受け取ろうと思う。
少女が何かの比喩であるとすれば、「神様が少女」というフレーズはなんらかの社会的なメッセージを持ちうるかもしれない。
 
しかしそれはあまりおもしろくない。ここはそのまま「神様は女の子だ」という設定の元に作られた物語であると解釈した方が、フィクションとしてはロマンがある。
 
そうして素直にこの歌詞を見つめてみると、一つ、不可思議なところがある。
 
この詩には、登場人物が3人出てくる。
「神様」と「私」と「あなた」だ。
正確にはyouは2人称複数を表すこともできるので、「あなたたち」かもしれないが、今はそこまで重要な問題ではない。
この歌詞を読むだけではさっぱりわからないのが、「私」は何者なのか、というところだ。神様が少女であることを知っていて、「あなた」にそれを伝えてくる。これだけなら地の文が三人称の小説などでよく言われる「神の視点」というやつなのだと受け入れることができる。神様がもういるのに神の視点というのもおかしな話だけれど。
しかし、物語における「神の視点」はキャラクター性を持ってはいけないという厳格な決まりがある。したがって「私」は明らかにこの詩で主要な位置を占める人物なのだ。
 
話が難しくなってきたので手元にある世界的に有名な三人称小説「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を例に説明する。
 
「捕まえたぞ!」ハリーの近くにいた死喰い人が叫んだ。「この場所はーー」
シレンシオ!黙れ!」
ハーマイオニーの呪文で男の声が消えた。フードの穴から口だけは動かし続けていたが、何の音も出てこなかった。
 
ここでいう「神の視点」とは、地の文を語っている存在のことだ。小説を読むことに慣れた読者はそんなことを気にも留めないが、この文章を書くためには、この存在はハリーと死喰い人とハーマイオニーの位置関係やその時起こった状況を正確に把握している必要がある。また、状況によっては
 
ハリーは「首なし帽子」を被せようとするジョージを交わして、談話室を横切り、男子寮に続くひんやりと安らかな石の階段に辿り着いた。また吐き気がした。蛇の姿を見た夜と同じような感じだった。しかし、ちょっと横になれば治るだろう、と思った。
 
というように、「神の視点」は登場人物の心の動きまでも正確に汲み取り、記述する。
要するに三人称小説とはこのような存在を筆者の代わりとして用意することで物語を円滑に進める手法をとっている小説のことなのだ。
 
しかし、この「神の視点」、この存在自身に関する記述がほんの少しでもなされた瞬間、その文章は強烈な違和感を伴うことになる。例えばこんな感じだ。
 
「捕まえたぞ!」私とハリーの近くにいた死喰い人が叫んだ。「この場所はーー」
シレンシオ!黙れ!」
ハーマイオニーの呪文で男の声が消えた。フードの穴から口だけは動かし続けていたように私には見えたが、何の音も出てこなかった。
 
こうなると、途端に「お前は誰だよ!!!」となるのである。私と言っているのだから、この存在は登場人物のだれかでなくてはならない。そして「神の視点」がキャラクターに成り下がった瞬間、「神の視点」はその権力を大幅に失う。
もしこの時ハリーとハーマイオニーの近くにいる人物(=私)を語り部に設定した場合、例えば次に離れた場所にいるロンの描写をする際に、語り部を変えるか、「私」を瞬間移動させる必要がある。
これはあまり現実的でない。
実は三人称小説と対立する概念である一人称小説はこのような問題を抱えており、「ハリー・ポッター」のような登場人物が多い物語を表現するには向いていない。
 
話が大きく逸れてしまったが、本題に戻る。
 
She is so driven, she's always mine
Clearly and free, she wants you to be
A part of the future, a girl like me
 
歌詞のこの部分で、明らかに「私」はその存在を主張している。
神様は少女なんだよとただ言っているだけではなく、「神様は私のもの」「私のような少女」と明確に述べている。
なので「私」も登場人物の一人ということになるのだが、なぜここにここまでこだわっているのかというと、「神様の秘密を知っている『私』とは何者なのか」という謎に、この物語(とするなら)の解釈が大きく依存するからだ。
「私」が「神の視点」ではないなら、君はなぜ神様の秘密を知っているのか? ということになる。当然、「私」は「神様」と特別な関係にあるからだ。
「私」は「神様」に繋がる特別な存在で、「あなた」にその秘密を伝えてくる。その上で、「信じられる? 受け入れられる?」と問いかけてくるのである。
 
基本の骨格はこれで間違いないはずだ。
次は「『私』は『神様』とどういう関係なのか」「なぜ秘密を伝えてくるのか」を考えてみたい。