ななつめの雲

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天気の子 ネタバレ感想

はじめに。


この記事は重大なネタバレを含みます。というかネタバレしかありません。

自分の中のアレコレを消化するために書いているので。


「天気の子」未鑑賞で、鑑賞予定の方は速やかに引き返してください。




それでは感想…を書き出すとめちゃくちゃになってしまいそうなので、評価という形で始めたい。映画評論なんてたいそうなことはできないけれど、これまでの新海誠作品は一通り観ているので、語れることはあるはずだ。


◎ 映像について

君の名は。」で一躍有名になった、新海作品の美麗な風景描写。「ずるい」と言いたくなるほど心に訴えかけるおなじみの超ハイクオリティ作画は、今回も健在だ。

というか、絶対にこれを効果的に「魅せる」ように物語を作っている。

雲の隙間から差し込む光のベール、雨と踏切、青空にかざす手、水たまりに雨が打つ波紋。

これまでの新海作品でも効果的に働いてきた、エモーショナルなオブジェクト、そして風景がちりばめられていた。

予告映像でも出ていた空の世界(?)でも、空の青、雲の白に加えて、魚の虹色、草原の緑が華やかな色合いを演出している。後者2つは視覚的な効果を考えて配置されたに違いない。


映像で確実に視聴者の心を動かしに行く。

そんな方針がはっきり見えた作品だった。


一つ気になったのは、前々作「言の葉の庭」との違い。

あの作品は「雨」を一つのテーマにしている点で本作と共通する。

そのため雨の表現にも工夫が見られ、雨の美しさ、儚さを強調するような表現がされている (画像)

本作でも雨のシーンは非常に多かったが、ここまでのこだわりは見られなかった。

本作はあくまで「雨と晴れ」がテーマで、雨は晴れ空の美しさを引き立てる役でしかないからそうなのだと思っていた……が、ラストでその考えは一変。


世界が雨に沈むというのなら、もっと雨に主軸を置いた表現をしてもいいはず。ここで手を抜いたために、いまいち豪雨や水没した街の表現が普通になってしまった気がする。


逆に最も評価したいのは、花火のシーン。色とりどりの花火が打ち上がる、心を打つシーンだが、カメラが立体的に移動して臨場感がすさまじいものになっている。早くもう一回観直したい。


これも言の葉の庭のラストシーンで同様の工夫がされていたが、ラストで持ってくるレベルの表現をシリアスパート手前でやっちゃう天気の子…恐ろしい子


◎ 音楽について

RADWIMPS最高。以上。


◎ストーリー構成について

これが本命である。

本作は、正直に言って、傑作ではない。

悪くはなかったけど、手放しで賞賛できるほどではなかった。

なぜか。映画としての立ち位置が、非常に中途半端だったからだ。


上でも触れた通り、本作は前作「君の名は。」を非常に強く意識している。

瀧くんや三葉といったキャラクターを直接登場させるだけではない。


1. 中高生どうしの恋物語という主題

2. ギャグや下ネタ(というほどでもないが)を細かに挟む小技

3. 伝統を知る老人に世界の秘密 (前作では「むすび」や「入れ替わりの伝承」、今作では「天気の御子の伝説」)を語らせ、日常パートからシリアスパートへの転換を図るテクニック。

4. 口噛み酒の祠と廃ビルの鳥居というキースポット。

5. 敵は自然現象 (前回は彗星、今回は天気)

6. 状況を打開するために主人公がキースポットを訪れる。

7. アツいRADWIMPSづくし


ザッと挙げるだけでも、それまでの新海作品で見られなかったこれだけの共通点がある。


ここまでかぶると、正直面白くない。それぞれの手法が効果的に働いているのは事実で、美麗な映像とも合わせてそれなりに楽しめた。

でも、それなりだ。視聴者からすれば、「ああこれ前にもあったな」という印象はどうしても頭の中に出てきてしまう。

これをどう打開するのかと鑑賞していたが、期待した意味ではついぞ打開されなかった。


また、物語としての描写不足もいくつか見られた。

なぜ穂高は地元の島を出てきたのか。

なぜ陽菜と凪は東京での二人暮らしにこだわっているのか。

なぜ穂高は鳥居から空の世界にアクセスできたのか。

夏美の就職活動はどうなったのか、就活生が捕まる危険を冒して穂高の逃走を助けるだろうか? 須賀のように逡巡があるべきでは?


このあたりの説明がないのは欠陥として数える他ない。小説版で補完されるって? それをアテにしたらクリエイターとして終わりだろう。


さて、このままでは「天気の子」は劣化版「君の名は。」だ……と思って観ていたが、ラストで衝撃の展開がやってくる。


そう、穂高は世界と陽菜を天秤にかけて、陽菜を選んだのだ。

世界なんてどうなってもいい。もう晴れ女じゃなくていい。

そう言って陽菜を取り戻し、雨は止まず東京は水没した。


ラストをこの展開にしたのは強く評価したい。素晴らしい。

なぜ素晴らしいのか? 僕が好きだからだ。

これはいわゆる「メリー・バッドエンド」と呼ばれる終わり方のマイルドなものだ。


主要キャラクターにとっては幸せな結末だけれど、その他の人々からしたらそうではない。

今回なら瀧くんのおばあちゃんの家は水没してしまい、マンションに引っ越すことになってしまった。

よくあるメリバなら世界が崩壊して二人だけ生き残るとか、そこまでやるのだが本作では街の水没にとどまった。

とはいえ、住居や交通の問題は深刻だろう。瀧くんや三葉は大丈夫だろうか。


こんな風に何千万もの人々に影響を与えながらも、「世界の形を変えてしまったんだ」と言いながらも、最後に穂高は自分の選択を正当化する。陽菜と二人で生きていくために、ずっと守っていくために。仕方のないことだと割り切った。須賀の「世界は元から狂っているんだから気にするな」という言葉を鵜呑みにして。


主人公のエゴイズムやヒロインへの愛の深さが感じられる。これがメリー・バッドエンドの醍醐味だ。

これは今までの新海作品ではなかった、新しい試みだった。事実、観客にもっとも衝撃を与えたのはこのラストだろう。


しかし、それまでの溢れる「君の名は。」リスペクトから急転直下のこれでは、いくらなんでも落差が激しすぎる。

劣化版という評価は不適当だが、何がしたいのかわからない、というのが素直な感想だ。

あるいは、新海監督自身も悩んでいたのかもしれない。史上稀に見る大ヒットを記録した前作をいかにして超えるか。

良い部分は踏襲し、新しい表現にもチャレンジする。

そうした難問に果敢に取り組んだ結果が本作なのだとしたら、その努力にはただ脱帽する。


新海監督がどれくらい自信を持ってこの作品を世に送ったのか。真相はわからない。

一度きりしか観ていないので、まだ見落としている部分があるかもしれない。


初鑑賞で感じたことは幾分整理できたように思うので、また劇場に足を運びたいと思う。


あと色々言ったけど陽菜ちゃんマジで可愛い。僕もあんな子にハンバーガー恵まれたい人生だった。